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高松地方裁判所丸亀支部 昭和31年(ワ)124号 判決 1958年11月05日

原告 植松ナツミ 外二名

被告 楠井教雄 外一名

主文

被告等は各自、原告植松ナツミに対し金拾五万九千四拾壱円を、同植松恭生に対し金弐拾弐万九千七百弐拾六円を、同植松ツエに対し金四万壱千弐百参拾参円をそれぞれにつき昭和参拾壱年拾壱月拾五日以降各完済までの間の年五分の割合による金員を附加して支払え。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用を四分しその三を原告等の負担とし他を被告等の負担とする。

この判決中原告等の各勝訴の部分は被告等のため原告植松ナツミにおいて各金弐万円宛、原告植松恭生において各金参万円宛、同植松ツヱにおいて各金五千円宛の各担保を供するときはそれぞれ仮に執行することが出来る。

事実

原告等訴訟代理人は被告等は各自原告植松ナツミに対し金七十万三千六百九十二円を、同植松恭生に対し金百万七千三百八十四円を、同植松ツヱに対し金二十万円をそれぞれにつき昭和三十一年十一月十五日以降各完済に至るまでの間の年五分の割合による金員を附加して支払え、訴訟費用は被告等の負担とするとの判決並に仮執行の宣言を求め、その請求原因として、原告植松ナツミ、同植松恭生、同植松ツヱは訴外亡植松数美のそれぞれ妻、次男及び母であつた者で、被告株式会社坂出タクシーは一般乗用旅客自動車運送業を営む者、また被告楠井教雄は昭和三十一年一月頃まで数年間右会社に自動車運転者として傭われていた者であるが、同被告は昭和三十年十二月十四日午前一時頃被告会社所有の事業用普通乗用自動車香3-2092号を運転して被告会社の事業を執行中坂出市西庄町巡査派出所の東方約五十米の国道第十一号線の路上において折から同所に自転車に乗つて前方から進行してきた前記植松数美とその自転車に右自動車の左前部フエインダー附近を衝突させて同人に頭蓋骨々折脳挫傷、顔面及び左下腿部挫創等の傷害を負わせ、因つて同人をその後意識溷濁のまゝ同年同月二十五日坂出市本町藤田医院で死亡するに至らせた。右事故にあたり同被告は衝突前約三十米前方から右側通行をしてくる前記被害者をみとめ、且附近は路面に砂利が敷いてあつて自転車などが平衡を失いやすいところであることを知つていたが、警笛を一回吹鳴しただけで自ら安全にすれ違いが出来るような適度の間隔をとろうとせず除行もせず漫然と時速三十五粁位で進行し、両者の距離が五、六米に接近してはじめてハンドルを多少右にきつたため、時既に遅く被害者が自動車の進路上に倒れかゝつてきたのを避けることが出来なかつたもので、該事故は右被告が自動車運転者としての注意義務に違反したことに起因するから、同人及びその使用者である被告会社はこれによつて植松数美が蒙つた財産上の損害を賠償しまた原告等が蒙つた精神上の苦痛に対する慰藉料を支払う義務がある。なお被告楠井教雄は本件の事故の前に既に道路交通取締法違反等の罪で五回に亘り処罰を受けており、この一事によつても被告会社が右被告の選任及びその事業の監督につき相当の注意をしたということは出来ない。そして被害者植松数美は事故当時坂出市坂出町で運送業を営む有限会社福本組に勤務し日給四百円を支給され毎月二十八日間内外を勤務し月収金一万一千二百円を得ていたが、同人は死亡当時三十三歳十月の男子で生前は頗る健康体で病気をしたこともなかつたから、この事故がなかつたとすればゆうに七十歳半まで生存し、そのうち六十五歳に達するまで勤労をすることを得て従前と同様の収入を得ることが出来たはずで、家庭では田二反八畝、畑三畝を耕作し母ツヱ名義の家屋に居住して米、麦、野菜類代、家賃を要せずその生活費は一ケ月三千円位であつたから結局一ケ月につき金八千二百円の割合による三十二年間の総計金三百十四万八千八百円の得べかりし利益を喪失し、被告等各自に対しホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除した金百二十一万千七十六円の損害賠償請求権を取得したというべきで、その死亡により原告植松ナツミは右請求権のうち三分の一即ち金四十万三千六百九十二円、原告植松恭生は三分の二即ち金八十万七千三百八十四円の各範囲でこれを相続した。次に原告等は本件事故のため最愛の者を失い、同時に各自の生活保護者を失つたのでその精神上の苦痛はまことに深刻で、これを慰藉すべき金額は原告植松ナツミに対し少くとも金三十万円、他の原告等に対しそれぞれ少くとも金二十万円が相当であるから被告等は各自原告等に対しこれら慰藉料を支払う義務がある。そこで本訴を提起して被告等各自に対し以上の財産上精神上の各損害の賠償及びこれらに対する本件訴状送達の翌日である昭和三十一年十一月十五日以降各完済に至るまでの年五分の割合による各遅延損害金の支払を求めると陳述し、被告等の主張事実に対し、被害者植松数美は前記のように右側通行をしていたが幅員十一米もある広い道路の端から一米位のところを交通稀な時間に通つていたのであるから同人に過失はない、また原告植松ナツミ名義で自動車損害賠償保障法に基き金三十万円を受取つたことは認めるが(但し植松恭生の法定代理人としての資格をも兼ねて受取つたかどうかは明かでない。)これは民法上の損害賠償請求権とはかゝわりのない特別法規に基くものであるから本訴請求から差引くべきではないと述べ、立証として、甲第一乃至第十七号証、第十八号証の一、二を提出し、証人松本重夫、福本任男、三枝忠秋、多田利夫、岩崎富夫の各証言及び検証の結果並に原告植松ナツミ、植松ツヱに対する各尋問の結果を援用した。

被告等訴訟代理人は原告等の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告等の主張事実中冒頭から植松数美とその自転車に自動車の左前部フエインダー附近を衝突させたまでの事実、同人が原告等主張の日、場所において死亡した事実及び被告楠井教雄が衝突前に被害者が自転車に乗つて右側通行をしてくるのをみとめ警笛を吹鳴した事実はいずれも認めるがその他の点は争う。右事故は前記被害者が飲酒泥酔して自転車に乗り、対面通行に関する法規に違反し、右警笛にも拘らず避譲せず、その上突然被告楠井教雄の運転する自動車の前に倒れかゝつてきたために発生したもので、同被害者の重大な過失に起因し、右被告は被害者のこのような異常な状態を予測することが出来なかつたから同被告に過失はなく、前記の自動車に構造上の欠陥並に機能上の障害はなかつたものである。且被告会社は被告楠井教雄の雇入れ及びその事業の監督について相当の注意を怠らず、前記自動車の運行について注意を怠らなかつた。仮りに被告等が損害賠償の義務を負うとしても前記被害者の過失は賠償額の算定にあたつて斟酌するべきで、更に本件事故については自動車損害賠償保障法に基き既に金三十万円が原告植松ナツミに対し交付されているが、これは原告の遺族全員に対し交付されたことになるのでこの額は賠償額から控除すべきであると陳述し、立証として、証人多田利夫、藤田浩の各証言、検証の結果並に被告楠井教雄、被告会社代表者中永智に対する各尋問の結果を援用し、甲号証につき第三号証の成立は不知、他の各証の成立の真正を認めると述べた。

理由

原告等の主張事実中冒頭から植松数美とその自転車に自動車の左前部フエインダー附近を衝突させたまでの事実、同人が原告等主張の日、場所において死亡した事実及び被告楠井教雄が衝突前に被害者が自転車に乗つて右側通行をしてくるのをみとめ警笛を吹鳴した事実はいずれも当事者間に争いがなく、証人藤田浩の証言によつて真正に成立したことを認め得る甲第三号証、真正に成立したことにつき当事者間に争いがない甲第七号証、第九乃至第十一号証の各記載と右証言、証人多田利夫、岩崎富夫の各証言、検証の結果並に原告植松ナツミ、被告楠井教雄に対する各尋問の結果を綜合すると、被告楠井教雄は本件事故当時現場附近の道路が幅員は十米余あるが路面に砂利が敷いてあり中央部はほゞ二米の幅で十三糎位の高さに盛りあげてあつてこの部分と道路の南側端から二米位内側の個所との間が昼間の自動車の頻繁な通行のためやゝきれいな路面になつていたので、その運転する自動車の左側の車輪を道路南側端から二米位の距離となる位置におき時速約四十粁で東から西に向つて疾走し、事故現場やゝ東方の地点にさしかゝつた時自動車の前方三十米位のところで自己と同じく道路の南端から二米位内側に寄りちようど右自動車の左ヘツドライトの中心部あたりのところを手前に向つて進行してくる被害者をみとめたが、前記のように警笛を一回吹鳴したのに右被害者が避譲する気配を示さずそのまゝの道路で接近してくるのをみとめ且互いの進路の両側の路面の状態が自転車で通行する者にとつて良好でないことを知りながら、速力を時速三十五粁程度に減じただけで直進し、両者の距離が五、六米に接近してようやくハンドルを少し右にきつてすれ違おうとしたが突然被害者が道路の内側に倒れかゝつてきたのでひとたまりもなく前記のように衝突したこと、右被害者が本件事故のため頭蓋骨々折、脳挫傷、顔面及び左下腿部挫創の傷害を蒙り直ちに坂出市本町の藤田医院に運ばれ入院の上種々の治療を受けたが、該負傷のために意識が溷濁したまゝ漸次衰弱しこの結果遂に死亡するに至つたことをそれぞれ認めることが出来る。してみると被告楠井教雄は自動車運転者として右のような場合に更に速力を減じて安全にすれ違い終るまで対向者の姿勢態度に終始注視し何時でも急停車をなし得る措置を講じ、或はまた道路中央の砂利の部分も自動車を以てすれば通行し得たから自ら速により右側に避譲する等相手方自転車との間に相当の間隔をおいて通過する等の配慮をし、被害者が急遽狼狽し或は路面の砂利に平衡を失う等のため異常な行動に出ることがあつてもこれと接触衝突を来さないよう危険の発生を未然に防止する用意をする注意義務があるのにかゝわらずこれを怠り、因つて本件事故を発生させたもので、自己の過失により被害者植松数美を死亡させたものといわなければならない。よつて同被告は右不法行為により、被告会社は該事故に先立つ昭和三十年十二月一日施行された自動車損害賠償保障法第三条により各自植松数美が右事故に因り蒙つた損害及び原告等が蒙つた精神上の損害を賠償する義務がある。(同法は賠償義務の範囲について「被害者」の蒙つた損害を賠償すべき旨の語を用いているが、右「被害者」の語を被殺者自身の意に限定することは同法第三条但書の場合以外は後記立法趣旨に反し、実際上も極めて不適切で、従来民法上認められているすべての賠償請求権者を包含すると解すべきである。)

もつとも甲第七号証の記載と証人福本任男の証言、検証の結果並に各当事者尋問の結果を綜合すると、前記被害者は右事故当時飲酒のため相当酩酊していたもので、また該道路は深夜でも自動車の交通が予想される幹線道路であるが被害者は後記勤務先への往復の途次常に同事故現場を通行していたのでこの状況及び前記のような路面の状態をあらかじめ知つていたものと認められる。そうすると同人は本件の場合に前記のように無謀な操縦の禁止及び対面交通に関する法規に違反した他、軽車輛を操縦する者としてつとめて自動車のような高速重車輛に道を譲るべきであり殊に前記のように砂利のため道路の幅員を充分には自由に利用出来ない場合はやゝもすると反対方向から来る自動車に接触する虞れがあるから前記の警笛に応じ速かに下車して避譲する等接触衝突の危険を自ら避けるべきであるのにそのような配慮を著しく欠き因つて本件事故発生の重大な一因を作つたものといわなければならない。しかしこのような事情は被告等の賠償責任を免れさせるものではなく、損害賠償の額を定めるのにつき斟酌すべきものである。

そこで以下損害賠償の額について考えるのに、まず原告等が主張する植松数美の得べかりし利益の喪失額に関しては真正に成立したことにつき当事者間に争いがない甲第一、第二号証、第十五号証、第十八号証の一、二の各記載と証人松本重夫、福本任男、三枝忠秋の各証言並に前記各原告本人尋問の結果を綜合すると、植松数美は大正十一年二月十六日生れで学業は尋常小学校を卒業しただけであるが、昭和十六、七年頃から日本通運株式会社坂出支店に勤務し家庭で父植松喜代次(昭和二十三年一月二十二日死亡)母植松ツエ等が農業を営んでいたので農繁期等にはこれを手伝いながら途中一時中断はあるが昭和二十四、五年頃まで勤め、その最後の頃は一ケ月につき多い時で一万四千円位、農繁期等で八千円位の給料を得てをり、次いで昭和二十八年頃から坂出市坂出町の運送業福本組(後に有限会社福本組となる)に勤め、家庭では自己名義の田四反位、畑一反三畝があるので麦刈、田植、稲刈、麦蒔等の農繁期等に合計一ケ月位休みその他にも余暇をみつけては農事に従事しこれによつて妻植松ナツミ(昭和二十二年五月挙式同二十三年八月三日婚姻)及び母と共に自作しながら、右農繁期等を除いて一ケ月に平均二十五、六日位出勤し、当初一ケ年位はトラツクの運転をその後は助手の仕事や自動車の整備等の仕事をし、本件事故当時には右勤務先から日給四百五十円で残業手当等と共に月の二十五日で締切つたそれまでの一ケ月分をその月の末頃月一回まとめて支給を受けていたが、これによつて家計に繰入れられた額は農繁期等を除いて一ケ月一万二千円位であつたこと、右福本組への通勤には自動車で片道四十分位を要していたので植松数美は朝は七時頃家を出るのを例とし帰宅は定時に退社した時で午後六時頃であつたこと、同人方は本件事故当時同人と原告等の四人世帯で原告植松ツエ名義の家屋に居住していたが原告等にはいづれも独立の収入がなく、前記農業による一家の収入は、右農業に関する各種経費と右四人の食費をまかなつてさして残余はなく、また右植松数美は一日に煙草バツト十五本位をすい酒は好きで時折飲んでいたが、米麦野菜類代と住居の費用を除けばその一ケ月の実質的消費支出は三千円位であつたこと、昭和三十年における満三十三歳の日本人男子の平均余命は統計上三十五年余であるが同人は生前頗る健康体であつて、なお人物も真面目であつたから前記福本組でも好感を抱かれていたが、他面同所での勤務は相当重労働で且同所は満六十歳の停年制をとつていたこと、同人の父は満六十五歳で胃癌のため死亡したことをそれぞれ認めることが出来る。また昭和三十年において、香川県地方の農家一世帯の世帯員数平均がほゞ五、八人、同耕地面積平均が五反強、その農業純収益(但し税負担を未ださしひかないもの)が農地一反当り米麦あわせて平均二万七千円程度、同一世帯当りの年間生計費が平均ほゞ三十万円うち飲食費が約十四万円であること、同年において香川県地方の県民一人あたりの個人消費支出は年間五万三千六、七百円程度であること、県民一人あたりの所得と右消費支出は従来徐々にともに増加しているが過去数年間両者の趨勢の間に自立つた格差はないことはいづれも当裁判所に顕著な事実である。

(なおこれらの諸点については同年度に関する農林省農林経済局統計調査部編農家生計費調査報告、香川県総務部統計課発行昭和三十、三十一両年度の香川県県民所得推計結果等が参考となる。)以上の諸事実によると植松数美は本件事故当時前記福本組から平均一ケ月一万一千円程度の収入を得、自己所有農地からも自己の労働による収益(地力、家族の労力等に対応する部分と区別して)としては年間で五十日乃至六十日程度の労働賃金に相当する程度のものをあげてをり、その全収入中これらの部分を失つたわけであるが一方自己の消費支出として前記三千円の他米麦野菜類代及び修繕費の頭割按分額等による住宅関係経費等を加えて更に一ケ月につき二千五、六百円程度を要していたものと認められるので収入減少の反面生ずる租税負担の変化等と併せ考慮すると、結局同人が喪失したというべき得べかりし純利益の額は(こゝで計算の対象となる収入、支出とも重要なものは毎月のものであるからそうでないものも月々の場合に換算して)その死亡時において一ケ月につき六千四百円程度で且これを下らず、またとの額は爾後においても変りがないものと認められ、たゞ同人は前記の学歴及び職歴等から主として筋肉労働に従事する外はないと考えられるがこの種の仕事に従事し得る期間は一般的には満六十歳位までと認めるのが相当と思われ本件についても前記諸事情からみて右と同じく満六十歳までと解すべきである。そして同人が右年齢に達するまで前記の福本組での場合と同一の賃金の締切及び支払時期により一ケ月六千四百円の割合による利益を得たはずであるとの前提に立ち、(現実の額は月によつて若干づゝ異るであろうが、右の方式による計算との差異は僅なものと考えられる。)真正に成立したことにつき当事者に争いがない甲第八号証と証人藤田浩の証言によると右被害者が受傷当初から必然落命の状態にあつたとは断定し難いから同人の死亡の際を現在時としてホフマン式計算法により毎月末の右利益につき昭和五十七年二月末まで毎月分毎に逐一年五分の割合による中間利息を控除計算すると前記の失つた得べかりし利益全部を加害者側に一時に賠償させる場合としての金額は原告等の本訴における見解を上まわる金百二十八万千四百円余となる。しかし本件事故の発生については前記のとおり被害者にも過失があり、その程度は加害者のそれよりも重く、両者の過失に関する前記認定の各事実を比較するとその度合はほゞ加害者四、被害者六の程度と解されるからこの点を斟酌して植松数美の被告等に対する得べかりし利益喪失による損害賠償の額は金五十一万円が相当であり、甲第一号証の記載と前記原告等各本人尋問の結果によると、原告植松ナツミ、同植松恭生はいづれも右被害者の財産を相続により承継したことが明であるから右損害賠償請求権も亦その三分の一即ち金十七万円の範囲で植松ナツミに、三分の二即ち金三十四万円の範囲で植松恭生にそれぞれ帰属したといわねばならない。(原告等は本訴で、植松数美が取得した権利として右の得べかりし利益の喪失による損害に基く部分だけを求めているからこの点だけの判断にとゞめる。)

次に原告等が主張する各自の慰藉料額については、各自の植松数美との続柄及び同人が前記のとおり原告等家庭の世帯主で物心両面においていわば一家の生活の中心であつたことから、その死亡によつて原告等が蒙つた精神上の苦痛が深刻であることは容易に理解することが出来、同家庭の前記の資産状態からみて今後相当生活が窮迫するであろうことも窮知することが出来る。しかし前記の被告等尋問の結果を綜合すると被告楠井教雄は本件事故当時運転手としての収入としては一ケ月につき一万円余りを得ていただけで妻と子供二人をかゝえてゆとりのない生活をし、なおその後昭和三十一年一月頃被告会社を退職して同年七月頃から他に就職し倉庫番の仕事をしているがこれによる収入はやはり一ケ月につき一万円余りであること、本件事故後被害者の医療費中保険でまかなえなかつた部分は被告会社が支払い、その死亡後には被告楠井教雄は千円位、被告会社は一万円の各香奠を遺族に贈つたことをそれぞれ認めることが出来、これらの事情も斟酌すべきであると共に殊に事故発生に関し被害者の過失の占める割合が前記のように大きいことを考えれば、原告等が被告等に求め得る慰藉料の額はその苦痛の程度に比して著しく低額とする外はなく、原告植松ナツミについては金十万円、植松恭生については幼少でもあるので金五万円、植松ツヱについては金七万円が相当である。

したがつて原告植松ナツミは被告等各自に対し以上合計金二十七万円、植松恭生は同様合計三十九万円、植松ツヱは同様金七万円の各損害賠償請求権を一旦取得したことになる。

しかし本訴提起前自動車損害賠償保障法に基き金三十万円の給付がされ原告植松ナツミ名義でその受領がされたことは当事者間に争いがなく、本件口頭弁論の全趣旨によると右は同法第十六条の保険会社による損害賠償額の支払と認められる。そして同法は自動車による人の死傷事故が起きた場合につき被害者側(本人或は父母妻子等)保護の観点からその第三条に損害賠償責任に関する民法の特別法を設け他方損害賠償を直接且現実に保障する方法として自動車損害賠償責任保険制度等を創設し、且右保険制度において、被害者側が加害者側から損害賠償を受け次に賠償した加害者側が保険会社から保険金を受取るという方法の他に被害者加害者の利便のため前記第十六条により被害者(前記のとおり従来民法上是認されたすべての賠償請求権者を含む)が保険会社に直接損害賠償額の支払を請求し得る途をひらいたもので、第三条の適用がある範囲ではこれと別に民法の一般規定により損害賠償請求権が並存することはなく、また保険会社による前記の支払は損害賠償と二重に或いはその範囲を超えて与えられるものではなく、したがつて右の支払を受けた被害者はその限度で財産上精神上の各損害賠償請求権をうしなうというべきであつて、なお損害賠償請求権を有する者の間に優先劣後の別を設けず、本件のように死亡者の妻子及び母が同一世帯を営んでいるような場合には反対事実の立証がない限り右請求及び支払の手続は原告植松ナツミを原告等の代表とする意味合いでなされたものと認められるから右支払の効力を弁済の法定充当の規定を類推して各自に対しそれぞれの損害賠償額によつて按分した額で認めるのが相当である。よつて原告等の前記各損害賠償請求権のうち原告植松ナツミはうち金十一万九百五十九円、植松恭生はうち金十六万二百七十四円、植松ツヱはうち金二万八千七百六十七円の限度でそれぞれこれを失つたものと解すべきである。

以上のとおりであるから原告植松ツヱの請求中被告等各自に対し金十五万九千四十一円とこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明な昭和三十一年十一月十五日以降完済までの間の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分、植松恭生の請求中被告等各自に対し金二十二万九千七百二十六円とこれに対する右と同期間同利率の遅延損害金の支払を求める部分、植松ツヱの請求中被告等各自に対し金四万一千二百三十三円とこれに対する右と同期間同利率の遅延損害金の支払を求める部分をそれぞれ認容し、他は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十二条本文、第九十三条第一項本文、仮執行の宣言について第百九十六条によつた上主文のとおり判決する。

(裁判官 中村三郎 山下顕次 長西英三)

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